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2008年8月27日 (水)

イスラム共和国の論理

イランでは政府や大統領などを公に批判することは許されていません。実際、テレビや新聞も提灯記事・報道ばかりで全然おもしろくないそうです。イランは政治と宗教が一体になったイスラム共和国です。イランの政府や大統領を批判することは、イスラームを否定することになるので、政府や大統領の批判は論理的に不可能なのだそうです。こういうことからも政治と宗教が一体となることがいかに危険であるかがわかると思います。

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コメント


如何なる政治体制も、宗教に基づいてますが、区別は、その宗教の法体系が、閉鎖的か柔軟的か、慎重的か大胆か、と言うこと。イランに於ける政治批判が困難なのは、イスラム以前の問題です。別に、イスラム革命前のイランでも、政府批判は困難でしたよ。(むろん、程度や性質の違いはあり、それは言い出したら更に複雑な話しになりますね。)イランの場合、パーラヴィ体制でも、現イスラム体制でも、非イスラム的な政治批判が困難なのは、国に精神的な余裕が無いことが第一。そう言う国家建設の文化的な成長段階にある、と言う事です。付け加えるべきなのは、政府批判を、イスラム的な見地からするのは、それなりに自由があります。大統領や政府がイスラムでなく、政府の背後や、政治機関の一部を担うイスラム法官がイスラムを代表してるのです。

イランの課題は、イスラムと中東系中央集権制から、イラン的な打開策なり改革策を打ち出す事です。宗教と政治を必ずしも分離する必要はありませんし、そもそも本質的に無理です。唯一可能なのは、宗教を法律や習慣法に包めて、消極的な法治を建前にするぐらいかな。

表立っての非難ごっこはさておき、重要なのは、人材の動きで、最終的に、真理と正義が伝搬する事。イラン人にそれだけの長期的な良心の強さがあるか、これから見物でしょうかね。

投稿: 通る | 2008年10月26日 (日) 10時34分

「イスラム共和国の論理」はテヘラン在住のイラン人に聞いた説明なので、その真偽については判断しかねますが、今のイランには政治と宗教が一体になっていることの弊害しかみえないと思います。靖国を持ち出すまでもなく、日本でも政教分離は身近な問題なので、他人事ではないという気持ちを持っています。

投稿: 吉村 | 2008年10月26日 (日) 21時15分

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